初めての方は、よろしければこちらをご覧ください


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こんにちは。

今日は日本列島全部のお天気がよくなかったようですね。

梅雨ですもんね。

でも時々は太陽に出てきてもらいたいです。



昨日、これから読もうと思っている本として紹介したこちら。

いい子に育てると犯罪者になります (新潮新書)



まえがきがとても長いのですが、
そのまえがきの終わりの方に、こんなことが書かれていました。




あなたは「協調性があること」は良いことと思い込んでいませんか。「臆病であること」はダメと考えていませんか。どちらの問いにも何の疑いもなく “イエス” と答えた方は、ぜひ最後まで本書を読んでください。きっと価値観が変わります。生き方も変わります。子育てや子どもを教育している方は子どもへの接し方が変わります。




このブログを読みに来て下さっている方の多くが、
この本を読んだ方がいい部類に入るのではないかと想像しています。

この本は「なか見検索」ができないので残念です。

なので、かなり長いですが、あとがきをここに紹介したいと思います。





 幼いとき私は、宮本亜門さんのように、いつも笑っている子どもでした。気持ちが落ち込んでいるときも、友だちから「今日はどうしたの?何かあったの?」と言われると、「何もないよ」と言って笑顔を「つくって」いました。笑うことが当たり前になっていたのです。そして、当時は、笑うことが自分自身を苦しめることになるなど、思いもしませんでした。心理学を学び、受刑者と関わるなかで、幼いとき私はなぜ笑っていたのか理由がはっきり分りました。私は母親を喜ばせたかったのです。

 私の父親は私が幼稚園のときに亡くなり、私は母親に育てられました。私は長男だったこともあって、周囲の者から「お前がしっかりして、将来は母親を支えていけよ」とよく言われました。幼いときの私は、そう言われることが「当たり前」になっていました。そして、幼いときの私の「母親を支える方法」の一つは、笑顔でいることだったのです。笑顔でいれば母親も喜んでくれる。そう思っていました。逆に言うと、笑顔でいないと母親は悲しむと思い込んでいました。自分で勝手に「母親に愛されるための条件」をつくっていたのです。そういう生き方が苦しみを生むことに気づくのは、かなり後になってからでした。

 中学生の頃は、「将来はいい会社に入って、母親を楽にしてあげないといけない」と思っていました。一生懸命に勉強もしました。しかし結果にはつながりませんでした。それがストレスになっていたのでしょう。学校で私はイライラを他の生徒にぶつけるようになりました。教師からすると、ちょっとした「問題児」だったのです。当時は強がっていたようにも思います。喧嘩などできないくせに、強そうな相手に挑発的な言葉をかけていました。

 今でも忘れられないことがあります。ある日、数学の教科の先生が休んで、自習の時間になりました。自習の時間には監督の先生が来ます。若い女性の先生でした。自習の時間は「遊びの時間」のような感覚です。まじめに勉強していない私を見た監督の先生は、私の隣に座っていた友達に対して、「岡本君のようになったらダメよ。君はちゃんと勉強しなさいね」と言ったのです。それも、私の目の前で。その言葉を聞きながら私は、顔は笑っていながら、内心ひどく傷ついていました。

 その後に、私は明らかな問題行動を起こしました。その若い女性の先生のテストでカンニングをしたのです。「魔が差した・・・・」と言いたいところですが、理由があります。その先生が大嫌いになったからです。その先生のテストにかぎって、私はまじめに勉強してテストを受ける気持ちを完全に失くしていました。しかし、間の抜けた話ですが、試験中に教科書をこっそり出しているところをあっけなく見つかりました。当然のことながら、放課後、母親が呼び出されることになります。

 そのときの私の担任の先生は、英語を教える若い男性の先生でした。先生と母親だけが話し合いました。私は一人教室で待っていました。二人が話し終えた後、帰り道で私は母親から厳しく叱られることを覚悟しました。ところが、母親は何も言わなかったのです。それどころか、「今日の晩御飯は何にする?」と尋ねてきたのです。そのとき私は「なぜ叱らないんだろう?」と不思議で仕方ありませんでした。それからしばらくして、担任の先生が「無理しなくていいからな」と私に声をかけてくれたのです。そのとき私はすべてを理解しました。母親を呼び出したとき、担任の先生は私が日ごろ感じていたストレスを母親に話してくれたのだろう、と。私は担任の先生の「愛情」を感じました。同時に叱らなかった母親の思いもあらためてうれしく感じました。「今の自分でいい」と思えた瞬間でした。それ以降、私は「問題生徒」ではなくなりました。

 罰を与えると人は悪くなる。愛を与えると人は良くなる。人は、人によって傷つけられる。だから、人は、人によってしか傷は癒されない。まだ「はっきりとした考え」にはなっていませんでしたが、中学生ながらに、そんなことを考えるきっかけとなりました。

 最後に、第一章の宮本亜門さんんとお母さんの会話の演習ですが、「私なりの正解」を記しておきます。それは、「何かしんどいことがあったの?どんなことがあっても、お母(父)さんは君の味方だから」と言って子どもを抱き締める、です。これが、私が親に求めたい愛情表現の言葉です。





よかった。

私は息子に、いつでもお母さんはあなたの味方だって言っていたし、
手紙には必ず書いていました。



岡本茂樹氏の本にはほかにも、
「反省させると犯罪者になります」というものがあります。

反省させると犯罪者になります (新潮新書)



こちらも読んでみたいですね。

まずは一冊目を読んでいきます。


今子どもの扱いで苦労されている方、
一緒に読んでみませんか?





今日も読んでくださってありがとうございます。
書いた文を読み返す気力がなくなったので、
誤字脱字がいっぱいあるかもしれないけど
このままアップします。



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