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こんにちは。

蒸し暑くっていやになります。

それでも今日は体調が悪くありませんでした。

相変わらず眠りは浅く、
(夜中にネコがブヒブヒ言いながら布団に来るというのもある)
朝も目覚ましが鳴る前に目が覚めて
時間を確認するという具合の日が続いています。

お昼寝が必要です!



なんだかんだ言いながら、
「友がみな我よりえらく見える日は」を読み終えました。

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)



文庫版のためのあとがきに、


自分でこんなことを書くのはどうかと思うけれど、この本には、彼や彼女の生身の人生が書かれている。それが単行本が書店から消えると同時に人々の目にふれなくなるのはもったいないなと思っていた。

だから、幻冬舎の志儀保博さんが文庫本にすることを提案してくれた時には、とても嬉しかった。



とありました。

そして解説の村上龍さんは、



だが、「普通」というこれまでの概念はもうどこにもない。それは多様化したわけではなく、近代化の終焉と共に消滅したのだ。だから「普通」というカテゴリーの中で、「みんなと同じように」生きていける人は誰もいない。一人一人がそれぞれ違った方法で現実と向かい合わなければいけない。一人一人が、その人の属性、資源を利用して生きていかなくてはならない。そして、現代においては、そのことが「普通」なのだ。

そういう意味で、この本は貴重だ。自分のこと、自分のすぐ傍にいる人のことが既成のメディアでは何も語られていないと思っている人は多いだろうと思う。そういう人にこの本を読んでほしい。楽だからと言うアンフェアな理由で、すでに消滅している概念を平気で使うメディアが、現実を生きている人のことを正確に伝えられるはずがない。

この本は、現実を生きている人のことを正確に伝えている。



と書いています。

なぜ私たちは苦しむのか。

一生懸命「普通」になろうとしているからかもしれません。

普通に学校へ行って、普通に大学を卒業して、
普通に就職して、普通に結婚して家族を持って・・・・

でも、私たちが思っている「普通」から外れてしまったとき、
どうしたらいいのかわからず苦しんでしまう。

本当は「普通」なんてなくて、
それぞれの人生があるだけなのに。


この本には続編があるようです。

喜びは悲しみのあとに (幻冬舎アウトロー文庫)



この本も読んでみようかしら。


「友がみな我よりえらく見える日は」の紹介文に、
読むとなぜか心が軽くあたたかくなる、とありますが、
私の印象ではあまりそう思えませんでした。

だから、「喜びは悲しみのあとに」の紹介にある、
安らぎと感動のコラム、という箇所には甚だ疑問ですが、
でもきっとおもしろいと思っています。


自分より不遇の人の人生を見て安心するというのではなく、
私たちが思う「普通」なんてないのかもしれない
ということをあらためて気づかせてくれるにちがいないから。


子どもを育てるとき、親である私たちは
将来の子どもの姿を想像します。

そうなるようにと愛情を持って育てます。

なのにそうならない。


勉強しない。

友だちが少ない。

外に出ない。

学校に行かない。

成績が悪い。

就職しない。

仕事を辞める。

結婚しない。

子どもを持たない。


あれ、こんなはずではなかったのに。

親が良いと思う人生を子どもがなぞることを希望して、
そうならずに絶望する。

こうやって書いてみると滑稽だけど、
多くの人がそんなことをしているのではないでしょうか。


子どものことをそう簡単に切り離して考えられませんが、
村上龍さんが書かれているように、
一人一人が、その人の属性、資源を利用して生きていくしかない、
そういうことなのだと思います。



今日も読んでくださってありがとうございます。
途中まで親が手出ししたところで、
結局は子ども自身の資源を利用していきていくしかないのですね。



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