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こんにちは。
今日はスマホを家に忘れたまま出勤してしまいました。
気づいたのは、駅のホームにいるとき。
もう遅い。
家に戻っていたら遅刻する。
仕方ない、今日はスマホなしだ。
緊急連絡がないといいけれど。
家に帰ってスマホを見ると、不在着信あり。
実家の母からでした。
折り返し電話をかけてみると、
たいした用事ではなかったので一安心。
気をつけなくっちゃ。
仕事帰りに自宅最寄りの書店へ行き、
「喜びは悲しみのあとに」を買ってきました。
「友がみな我よりえらく見える日は」を買ったのがずいぶん前のことだったので
この本が書店に並んでいるのか実はちょっと心配していました。
ところがなんと、「友がみなー」と並んで複数冊積まれていたのです。
二冊とも初版は二十年ほど前なので、
文庫本になったりして長く読み継がれていることがわかりました。
読み継がれるのにはわけがある。
そこに普遍的なものがあるからでしょう。
早速ページを繰ってみると、
障害を持った子を育てる小説家の話でした。
*
私にはどうしてもきいておきたいことがあった。
「将来のこととかを考えると、暗たんとした気持ちにならないですか?」
打海は窓の外の海を眺めている。自分の考えをまとめているのだろう。
「なんていうかな、将来のことを考えては今日は生きられないってことなんです」打海がいう。
(中略)
「あるいは、子どもが五十歳まで生きてね、私が八十歳近くになって、ひげボーボーの五十男の息子のひげを剃ってやって、ヨボヨボの自分が車椅子を押してるっていう光景が頭をよぎる時だってあります。でも、それを考えていたら生きていけません。昨日かわいければ、この子は今日もかわいいだろうし、今日かわいければ、明日もかわいいだろう。この子が五十歳になった時も、やっぱりかわいいと思ってるんじゃないかな」
<なるほどな>私は感心した。障害を持った子の親だけじゃなく、誰だって昨日に今日をつなげて、小さな喜びを糧に生きている。
*
将来のことを考えては今日は生きられない
そう思う人は結構多くいるのではないでしょうか。
一生介護が必要な子どもがいる
交通事故で障害を持った
10年引きこもっている
二浪した
休学している
留年した
就活で苦戦している
勉強しない
全く関係のない人が遠くから客観的にながめれば、
それぞれ困難の度合いは違って見えるでしょう。
しかし親が我が子をみる場合には、
他人からはささいなことと思われることも
心臓をぎゅっとつかまれるほど苦しかったりするのです。
将来のことを考えるから苦しくなる。
将来を考えては今日は生きられない。
それぞれがいろいろな思いを抱えながら毎日を生きている。
何も解決はしないけれど、
自分以外にもそういう思いで生きている人がいると知ると、
私も今日を精一杯生きることに専念しよう、そう思うことができました。
今日も読んでくださってありがとうございます。
こうやって本を次々買ってきたら、
積読本が全然減らないなあ。
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