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こんにちは。
北海道で大きな地震がありました。
今朝洗面所で化粧をしている私に、
あとから起きてきた夫が、
「北海道で大地震があったみたいだよ、震度6強だって」と。
震度5弱まではほとんど被害がないのはわかっています。
でも、震度5強になると棚から物が落ちたりするし、
6以上なんていうのはものすごい揺れのはず。
しかも今回は内陸地震。
震源の真上の地域はどれだけすごい揺れだったことか。
北海道の販社の方に今朝メールしたところ、
「死ぬかと思った」という返事が来ました。
いろいろ調整が必要になって今後大変です。
とにかく早く停電が解消されますように。
この地震、センター試験の出願期間じゃなくて本当によかった。
こういうことっていつ起こるかわかりません。
それは運命でしかありませんが、
でも最善の行動を取っているか、慎重であるか、
あるいはぎりぎりバタバタになってはいないか、
見直す必要があるかもしれませんね。
*
「姉はもしや」の記事で書いたことについてずっと考えています。
ウェブ上で調べたりもしています。
でももちろんこういうことはすべてが完全に当てはまることはなく、
そういう傾向があるかな、程度です。
でも、気になって気になって
私の腑に落ちるものをさがしまわっていました。
そして、これだな、と思ったのが、
「自己肯定感」です。
この記事を読んでそう思いました。
自分の価値を認めないと、他人の価値を認められない。
もともとは私自身が自己肯定感に乏しい人間でした。
でもだからといって、
他者の価値観を否定していたわけではないと思いますが。
大学生になって変わりたいという気持ちが強くなり、
一人暮らしをするようになって少し冒険をするようになりました。
姉との同居で抑圧が強くなったけれど、
社会人になって自分はまんざらじゃないと思えるようになり、
結婚して自己肯定感を持てるようになりました。
先日知人が、
地方に住んでいることに対してコンプレックスがある
というようなことを言っていました。
私は答えました。
昔は私にもあったけれど、
今は全然ないよ、と。
旅行で色々な地方へ行った経験、
去年は毎月のように東京へ行って遊んだ経験、
そのことが今住んでいるところを客観的に評価できるようにしてくれました。
東京は日本の首都なんだから、
どこよりも発展してにぎわっているのはあたりまえ。
だけど、おしゃれと言われる街を歩いても、
「ふーん。こんなもんか」と思えたし、
大抵のものは今住んでいるところでも手に入るし、
田舎者と思われてもぜんぜん痛くもかゆくもありません。
そう思ってくれて結構。
そう思うのは思う人が無知なだけ。
コンパクトで暮らしやすい。
サイコ―!
なんだもん。
つまり、この街に対して肯定感があるのです。
だから、田舎だと思われても平気。
東京に比べたらどこだって田舎だ。
自分が自分でいいと思えれば、
他人と比べて落ち込むことはあっても、
他者を否定する必要はありません。
姉は自己肯定感が低いから、
人は人、自分は自分と思えないのではないかな。
だから自分と違う考えは受け入れられないし、
ちょっとでも反論されると逆上するし、
嫌な思いをさせられた人のことは悪口言わずにいられない。
私は残りの人生をごきげんで過ごしたいと思っているので、
どうしたら姉との接触を少なく済ませられるか、
そればかりを考えています。
義兄に長生きしてもらい、
姪には姉と良い関係を保ってもらいたい。
それ以外はないのかな。
二人とも、ごめんね。
姉をよろしく。
今日も読んでくださってありがとうございます。
家族の問題は根深いです。
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各地で大災害が相次いでいます。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。
自己肯定感。
心の安定のために多分最も重要だけど、これを高めるのは簡単でないですよね。
日本の教育はより上を目指すことを是としたものなので、まず今の自分はまだまだダメだというところから入っていますものね。
常により良い自分でなければならないのです。
そして、首尾よくいった暁に初めて、よしよし自分えらいと褒めることができるわけです。でもこれは本当の自己肯定ではない。条件付きの自己肯定です。
むしろたいていの人は、無意識に常に自己否定しているのではないでしょうか?
今の私はダメだ、もっと良い母親にならなければならない。もっと片付け上手でないと、もっと料理が上手くないと。以下エンドレス。
自己肯定感を養う大前提として、ほとんどの人は実は自己否定まみれだと自覚することが大切だと思っています。
自分がいかに今の自分にダメ出ししているか。
ダメ出ししていることに気づいたら。「あらま、今自分イジメしてたわ。自分ごめんね。そのままでいいんよ。」てな感じで今現在の自分を認める。まずは無条件で自分を認める。
なかなか地味な作業ですが、染み付いた自己否定を止めるにはそれなりの時間はかかると思います。
でも、わずかずつでも意識が変わってくると、自分に対する見方が変わり、そして子どもはもちろん他者への見方も変わってくる。
こうでなければならないという強迫観念のようなものが、小さくなってくると経験的に思います。
これは努力を否定するものではありません。
無理強いされた努力ではなく、努力を自ら進んで選び取るため、心を安定させる必要があるからです。
心が安定すればエネルギーが湧いてきて、やる気が起こってくると思うのです。