今日はまあまあのお天気になっています。
梅雨時期には珍しく、からりとしています。
風がちょっとあるからでしょうか。
さて、こちらで何度か小池一夫氏のツイッターのことを
書いたことがあると思います。
今日も氏のツイートを紹介したいと思います。
以下、引用です。
**
若い人に言いたいのは、子ども時代は子どもらしく遊び、思春期には恋をするという風に、自分の世代毎の事をきちンと経験しながら大人になる事の大切さだ。そういう事をすっとばしてしまうと、大人になってからもう一度、人生を生き直す事になる。しかも、歪な形で。
そういう経験や段階を積ンで大人にならないと、金や地位を手に入れて自由になった時、子どもが欲しがるようなものをコレクションしたり、異性に異常に執着したりする。大人が大人になるには、自分の世代をきちンと経験しておかねばならないのだ。
かつてあンなに好きだったものが、あまりピンとこなくなり興味を失う事がある。それに費やした時間やお金を考えると唖然とするが、それは自分が次の段階へ上がったのだと喜ぶ事なのだ。無駄が人生を豊かにする事は多い。皮肉な事に、この世で大して役に立たないものが、最も楽しいものだったりする。
**
実は上記のツイートを読んだ時、夫の事を思い浮かべました。
夫は子供のころ買ってもらえなかったおもちゃを、
息子に買い与えるという名目でコレクションしていました。
ウルトラマンのフィギュアや仮面ライダーのおもちゃ、
プラレールにチョロQ、さらには完全に自分の趣味であるガンダム。
でも、息子が家を出て息子の部屋の片付けをしていたら、
ガンダムのプラモデルを捨てていいと言ったのです。
夫が次の段階へ進んだということなのでしょう。
いくつか前の記事で、子どもにとってゲームは毒なの?
という記事の中にあった著者の話に通じるものがあると感じます。
では今日もまた過去の息子日記をどうぞ。
*
2006年4月20日
見てみたかったような気もします。
*
私だったら息子が選んだ花にするけどな。
そういうところが夫は大人じゃないと思うところです。
今日も読んでくださってありがとうございます。
息子は山ほどカードをコレクションしていました。
一体いくらお金をつぎ込んだことか。
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梅雨時期には珍しく、からりとしています。
風がちょっとあるからでしょうか。
さて、こちらで何度か小池一夫氏のツイッターのことを
書いたことがあると思います。
今日も氏のツイートを紹介したいと思います。
以下、引用です。
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若い人に言いたいのは、子ども時代は子どもらしく遊び、思春期には恋をするという風に、自分の世代毎の事をきちンと経験しながら大人になる事の大切さだ。そういう事をすっとばしてしまうと、大人になってからもう一度、人生を生き直す事になる。しかも、歪な形で。
そういう経験や段階を積ンで大人にならないと、金や地位を手に入れて自由になった時、子どもが欲しがるようなものをコレクションしたり、異性に異常に執着したりする。大人が大人になるには、自分の世代をきちンと経験しておかねばならないのだ。
かつてあンなに好きだったものが、あまりピンとこなくなり興味を失う事がある。それに費やした時間やお金を考えると唖然とするが、それは自分が次の段階へ上がったのだと喜ぶ事なのだ。無駄が人生を豊かにする事は多い。皮肉な事に、この世で大して役に立たないものが、最も楽しいものだったりする。
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実は上記のツイートを読んだ時、夫の事を思い浮かべました。
夫は子供のころ買ってもらえなかったおもちゃを、
息子に買い与えるという名目でコレクションしていました。
ウルトラマンのフィギュアや仮面ライダーのおもちゃ、
プラレールにチョロQ、さらには完全に自分の趣味であるガンダム。
でも、息子が家を出て息子の部屋の片付けをしていたら、
ガンダムのプラモデルを捨てていいと言ったのです。
夫が次の段階へ進んだということなのでしょう。
いくつか前の記事で、子どもにとってゲームは毒なの?
という記事の中にあった著者の話に通じるものがあると感じます。
では今日もまた過去の息子日記をどうぞ。
*
2006年4月20日
私の誕生日に、夫と息子が切花をプレゼントしてくれました。
「ぼくは別な花を選んだんだけど、お父さんがこっちのほうがいいって」
と、花を生けている私に息子が言いました。
翌日、
「トルコキキョウはやっぱりこの色だよね」
と夫が言いました。
この色とは、白に紫の縁取りのもの。
たしかにトルコキキョウらしい色合いです。
息子はどうも個性的な色合いのものを選んだらしいのです。
夫は理論的で、息子は芸術的なんだよ、と私は言いました。
夫は、これはこうあるべき、こうでなければならない、という考えの強い人。
そしてそれを曲げないし、曲げなければならないときは、
ひどい屈辱を感じています。
一方息子はまだ子どもなので、一般的な常識にまだとらわれていないし、
とらわれるような性格でもない。
自分の感覚に素直で、人からの批評を気にしたりもしません。
見てみたかったような気もします。
*
私だったら息子が選んだ花にするけどな。
そういうところが夫は大人じゃないと思うところです。
今日も読んでくださってありがとうございます。
息子は山ほどカードをコレクションしていました。
一体いくらお金をつぎ込んだことか。
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うちの子は今中学3年の男子です。小学校の頃、ゲームを与えませんでした。スポーツも苦手で勉強も嫌いで中の上から上の下くらいでした。なのでクラスの中の力関係は弱く母親の私からみても本当に可哀想でした。今、ゲームに対して全く興味がなくてもに充実した中学生活を送っています。パソコンに興味があり独学でプログラミングを勉強し、本をたくさん読んで身についていた知識に学力が結びつき急激に伸びました。同じような友達を見つけ切磋琢磨しています。あの欝々とした小学校時代が嘘のようです。もしゲームを解禁していたら、好奇心の強いうちの子は全てのエネルギーをゲームに注ぎ込み、他への興味を失くしていたと思います。うちの子より頭の良かった子たちは今だゲームから抜け切れず勉強に向かえず転落しています。地頭が良くても自分が何をしたいのか分からないからゲームから離れられないのです。それを親子で一緒に見つける時間も見つけようとする意志もゲームは奪ってしまうように思います。親がゲームを取り上げても、いつかゲーム以外の事で必ず道が開けるよと真意を伝えて悲しみを共感すれば乗り越えられると思います。その頃はわかっていなかったでしょうが、今はわかっています。