人生なんとかなる!たのしく生きると決めました

いろいろあったけど、残りの人生楽しみます!

子育て・教育

出世するからこそ怖い



初めての方は、よろしければこちらをご覧ください





こんにちは。

またまたずいぶんと間隔があいてしまいました。

どうしても仕事が忙しくなって帰りが遅くなると
記事を書くタイミングがつかめなくなってしまいます。

ちょっとした記事ならそれほど時間はかからないのですが、
逆に書きたいことがあると
本の内容を引用したり
理論的に矛盾がないようにしなければと思って
なかなか書けなくなってしまうのです。




グスタフ・フォス氏の、
「日本の父へ」を読み終えました。

日本の父へ(新潮文庫)




この本の後半部分に、
受験や学歴に関する記述がありました。

フォス氏は校長を務めていたらしく、
保護者とどのようなやり取りがあったかなども書かれています。

その中のある父親とのことです。


ある生徒がクラスで文化祭の委員に推薦された。
しかし父親が反対した。
文化祭の委員などをやっていたら成績が下がってしまう。
進学がうまくいかない場合、
学校は責任をとってくれるか。
学校の指導体制はなっていない。

と、校長に抗議してきたという箇所です。



以下、引用します。


激しく発展していく今日の社会では、勝ち残っていくためには、充実した学力及び一般に認められている一流大学卒業という学歴は、最も重要な条件、いな、是非とも必要な武器である。それを狙いにした場合、中学校や高等学校での成績は決定的な役割を果たすことになる。従って、将来性のある生徒を厳しく鍛え上げるほかはない。学校が力強くやっている人間教育はありがたい---先生、これはお世辞ではない!---が、しかし学業以外のさまざまな活動を過剰に強調することは、進学問題や社会の現実を無視している。とにかく、自分の倅にはそんな余裕はない---というのである。


そして、この父親に、最近読んだという小学校の親のためにかかれた受験手引きのような本の一部を読み聞かせました。

以下引用します。


運動会や遠足や学校行事一般は、教育の一環ではなくて、お祭り騒ぎにすぎない。特によくできる生徒は、いろいろな役目(たとえば班長)を負わされる。勿論、最低限、学校の規則に従わせることは必要である。しかしその規則に対しては、できるだけ、ただその内容を要領よく処理できるようにさせることである。通信簿の評価に大きくかかわってくるからである。親は子供の生活リズムの割り振りを考えるとき、子供の余力を、試験で他の子供より一点でも余計に取らせるためのトレーニングにまわせるようにしなければならない。塾、そしてクラスの仲間は、みな “敵” であるから。
 世の中が逆さまになったような、非常識そのものじゃありませんか。そのうえ別の本で、この著者は、受験生の気持ちを掴もうとして、プロローグに<常識を越えなければ受験戦争には勝てない>と小見出しまでつけています。そして、受験戦争とて戦争に変わりがないのだから、そこでは、常識や道徳、約束、同情、助け合いなど人間社会を支えているすべてのルールが通用しないと同様に、人間的に正しいとか、正しくないとかは問題にならない---と、言い切っています。
 いかがですか。私はこれを読んだとき、胸がしめつけられるような思いをしました。昔なら考えもつかない、えげつないほどの出世主義ではありませんか。
 ----先生がお喜びにならないことはわかります。でも、子供を今日の受験戦争に負けないように、なんとかしなければならないのです。
 ----私もその競争の厳しさをよく知っています。生徒諸君や父兄の皆さんと同じように悩んでいるのですよ。それだけに、私は生徒がその試験に負けないように、彼等を厳しく鍛えているつもりです。しかし、あなたが考えていらっしゃるような点取り虫はお断りいたします。そういう人間は大学を卒業してから出世するかもしれない。出世するからこそ怖いのですよ。日本の社会は駄目になってしまいますからね。あまりにも非人間的、非社会的な考えを押し付けられた者は、やがて自分の人間性も、そして日本の社会も滅ぼしてしまいます。これは経験済みのことではありませんか・・・・。


この文章には続きがあって、
西郷隆盛の名言
「子孫のために美田を買わず」
が書かれていて、
大勢の現代の親の反感を呼び起こす言葉であるかもしれませんが、
これこそ正しい親心であるとおもっている、と続きます。


この本は何十年も前に書かれたものですが、
もしかしたら今の日本はあまり変わっていないのかもしれませんね。

世界は確実に変わっているし、
日本だって学歴が必ずしもモノをいう時代ではなくなりつつあります。

けれども日本の国を動かしている中枢は
今でも絶対的に正規のルートを確実に勝ち抜いた人たちによって
握られていることに変わりはないし、
きっとこれからも続いていくのだと思っています。

だからこそ、上で引用したような
手段を選ばず人を蹴落として出世するような人に
私たちの生活を預けるようなことはしたくないと思ってしまいました。

実際にはもって生まれた優秀さと素直さを兼ね備えた人が
官僚として活躍していると信じています。



残念ながら今の政治を見ていると、
フォス氏が心配したとおりになってきているように見えてなりませんが。




息子は、自分が勝つために手段を選ばす人を蹴落とすのとは
対極にいるような気がします。

それを人は「負け組」と言うのかもしれませんが。


ほんの幼い時から、
姪の「交換してほしい」という要求にも、
息子の分もほしいという要求にも、
「いいよ」と差し出すような子でした。

でもそこにはただ弱いとか、
やさしいとかいうのとは違う、
相手がどのような人間なのかを見抜く鋭さがあって、
なかなかどうして恐ろしいものがあるのですが。



今日も読んでくださってありがとうございます。
優秀な頭脳はぜひ良い方面で使ってもらいたいと望みます。




にほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へ  にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ 

 


AD
 

親の価値観を子どもは受け取る



初めての方は、よろしければこちらをご覧ください





こんにちは。

もうすぐセンター試験ですね。


大学入試の時期になると
胸がキュンキュンしたものですが、
最近ではあまりそのようにならなくなりました。

時間は薬です。

時が癒してくれるものもある。

毎日を自分なりの精一杯で生きる。

それしかできないと心得られたら
人は一歩幸せに近づいたということかもしれません。



息子が帰省していた時、
こんなことを話しました。


「家族の絆」とかいう言葉は
ちょっと白々しくてあまり好きじゃないけれど、
現実問題として集団の最小単位は家族であり、
三人で力を合わせていくしか生きていく方法はない。
今はお父さんとお母さんがあなたのことを支えるけれど、
これから先の将来はあなたに助けてもらうことになるかもしれない。
できるだけ迷惑をかけないようにするつもりだけれど、
そのときはお願いします。
たぶん、おかあさんよりお父さんのほうが長生きすると思うので、
お父さんのこと、頼みます。

というようなことを言いました。

そうしたら速攻、
(お父さんの面倒をみるのは)「いやだ」という返事!

そう言わないで。
頼むからね!

と言っておきました。


まあ、そのあたりは大丈夫と思います。


それと、

あなたとお父さんのふたりを
お母さんが一人で支えることはできない、と言ったら

「そんなのあたりまえでしょ」

と言われました。

息子の口からもちゃんと言われていることですが、
いつまでも親に頼るつもりでいるわけじゃない
ということは感じ取ることができました。

頼むよ、息子!






「素直な戦士たち」読み終えました。

素直な戦士たち



こんな結末だったことを全く覚えていませんでした。


私は自由奔放に生きてこられたので幸いですが、
もし長男の立場だったら完全に気が狂うか
母親を殺してしまうかもしれない
とすら思ってしまいました。


「素直な戦士たち」の後記に、
次のような文章がありました。



 強い感銘を受けた本に、グスタフ・フォス『日本の父へ』(新潮社)がある。フォス氏の父親は、ドイツの炭鉱夫であった。息子のできがよいので、無理して工科系の学校へ行かせたが、その息子が神学に興味を持ち、神学校へとコースを変えてしまう。
 それでもこの父親は一言も文句をいわず、黙って送り出す。だが、ようやく神学校を出たとたん、息子ははるか日本への布教を命じられ、二度とドイツへ帰れぬかもしれぬということになる。
 いったい何のための教育、何のための親の苦労だったかといいたいところだが、フォス氏の父親は、ほとんど何もいわず送り出し、そのまま数十年経ち、父子はついに再会することがなかった。
 親にとって子供とは、本来そういうものでなかったかと、ふと考えさせられる話である。
 親たちが、それぞれ個人生活を全うし、子供を個人として主体的に生きさせる。親と子の関係をそうした目で洗い直すことが、いまわれわれの社会でも必要とされているのではないだろうか。


興味を持ったので、この本をさっそく電子書籍で購入しました。

日本の父へ(新潮文庫)



翻訳本だとしたら読みにくいかもと心配しましたが、
フォス氏が日本語で書いたのかどうかわかりませんが
非常に読みやすい文章となっています。

タイトルの「日本の父へ」とは、
日本で子育てをしている父親のみなさんに向けての呼びかけのようです。


フォス氏の父親がどのような人だったか、
子どもたちにどう接していた人だったかを軸に、
父親が息子をどう育てるかについて
書かれているようです。

まだ最初のほうしか読んでいないので
全体像はつかめていませんが。


さすがに古い時代のことなので、

家庭の根幹は、言うまでもなく父親である

とか

男である父親は
男である息子を男らしい男に育てなくてはならない

というような
今の時代にはちょっとばかりそぐわないかな
と思われる文章もありますが
こんな素敵な父親だったら
子どもも立派に育つのだろうなと思わされます。

子どもに立派なことを言うには
自分自身がそれを言えるような行いを
常日頃からしていなければなりません。

そのような父親が
はたしてどれだけいるのでしょう。




それでもやっぱり親の価値観は
否応なしに子どもに影響を与えるのだということを
思い知らされることがありました。

それは、姪の就職先が
大手IT企業だと知った時です。

え?と思いました。


私はてっきりもっと人間臭い、
人がわいわいやりながら仕事をしているような
そんなところに就職するものとばかり思っていました。


夫は、
賢い子だから、
仕事は仕事、趣味は趣味と
きちんと分けて考えられる子だと思っていたよ、と。


姉は言っていました。

姪の能力は高いから、
伸びるに任せていたらすごいことになるのはわかっている。
でもあえてそうならないように仕向けている。
平凡なほうが幸せだ。

と。


女性の幸せは結婚である。

と、姪に言い続けていました。

だからたぶん、
就職するなら福利厚生のしっかりした大企業、
とも言っていたのではないでしょうか。

姉は大手メーカーの販社で働いていたので、
大企業の良さを知っています。


私は小企業での勤務経験しかなく、
年賀状のやりとりがある以上の親しい友人に
大企業勤務や教員以外の公務員の人はいません。

だからそういうところの良さを伝えることもできないし、
強く勧めることもしてきませんでした。

どちらかというと
「寄らば大樹の陰」とは別のところに
価値を置いているようなところがあるので、
まさに息子は親の価値観を踏襲しているにほかなりません。

あー

私のせいか(笑)



今日も読んでくださってありがとうございます。
近年は大企業と言えど明日がわからない世の中です。
自分の生きる力を高めることが
どこで何をするにも必要になっています。




にほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へ  にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ 

 


AD
 

親が子の人生を決めてはいけない



初めての方は、よろしければこちらをご覧ください





こんにちは。

コメントくださったみなさま、ありがとうございます。

そして相も変わらずお返事せず申し訳ありません。

言い訳はしません。

うえーん。





現在放送中の、NHKの朝ドラ、「スカーレット」。

始まった当初から、
主人公の父親にむかむかきていました。

お金がないのに酒を飲み、
娘の就職先を探してきて大阪へ働きに出し、
自分の都合で呼び戻し、
今回は娘が結婚した後に住む場所まで自分で建ててしまうという。

なんでもかんでも自分の意志を押し通す。

それが愛情からのものなら許されるのか?


ドラマを観ながら腹が立ちすぎて突っ込んじゃったりしてました。


そんなある日の放送。

師匠である深野先生が
絵付けの勉強で自分より若い人に弟子入りするという。
それをすごいことだと言う主人公に父親が、

世の中のどれだけの人が自分のやりたいことをやっていて、
やりたいことをして食べていけていると思うのか。
深野先生みたいな人だけが素晴らしい人間というわけじゃない

というようなことを言いました。


それをきいた夫が、
「めずらしくいいこと言ったじゃないか」と言いました。


いやー

私は全然いいこと言ったとは思わなくて。


たしかにそうかもしれないけど。

言い訳に過ぎないとも思うわけです。


それであなたはそもそもやりたいことあるの?
やりたいことをするために何か努力したの?
って。

自分はそういうことをしないで、
やりたいことのために頑張っている人を否定するのは
感心しないと思うのです。


やりたいことをしない自分を正当化するための言い訳。

私自身がそうだから、よくわかります。


そして、絶対にやる!
と覚悟を決めると
案外できることってあるような気がするのです。


もちろんどうしようもない状況の人も
たくさんいらっしゃると思います。

そのような方々はもちろん別です。







先日、新聞を読んでいて目に留まった広告がありました。

2019-12-18 23-19-17


なんだこの、「息子・娘を入れたい会社」ってのは。

むかむかしてしまいました。



確かに昔から、
親の職業を継がせたがったり、
公務員にさせたがったりする親の存在はありました。

でも、この表現はどうなんでしょう。


せめて、「息子・娘に入ってもらいたい会社」とか
「入れたらいいなと思う会社」とか、
いや、そんな表現の問題じゃないけど。


息子や娘の人生は、彼らのものです。

親が強制したり、誘導したり、
親は子どもの幸せを願ってしていることだとしても、
親が思う幸せのかたちと
子どもが思うそれとは違うことがあたりまえだと思わないと、
思わぬしっぺ返しが来ないとも限りません。


子育ては本当に難しい。

でも難しいと思うことが、
親が子をコントロールしようとしている証拠なのかも。


愛を持って守り育て、
子の個性を受け入れ、
意思を尊重し、
先に立って誘導するのではなく、
子が歩んでいく姿を見守るのであれば、
親の価値観から外れてやきもきすることもないのでしょう。





今日は本の紹介をしようと思っていましたが、
長くなってしまったので
明日以降にしようと思います。



今日も読んでくださってありがとうございます。
今年も残りわずかですねえ・・・



にほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へ  にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ 

 


AD
 

横着せずに向き合う



初めての方は、よろしければこちらをご覧ください


スポンサーリンク


こんにちは。

会社に献本と思われる
「介護道楽・ケア三昧」という本があります。

介護道楽・ケア三昧―関わりを自在に楽しみながら



社長と著者が知り合いなのか
会社に何冊も届いたのを覚えています。

そして、この本を読みました。


今日の昼休み、
何気なくこの本をまた手に取りました。

この本に書かれていることは
主に介護にまつわることですが、
読んでいるうちに
人とのかかわり全般に共通するものがあるように感じました。



この本の最初のほうに、こんな文章がありました。


<引用>
 たとえば、「その病気」には「こんな治療」という医療モデルは、精神や高齢者に関する限り間違っている(少なくとも不十分だ)。「その人」に「私」は「こんな関わり」を、が先で、治療は「私」にできる「こんな関わり」の中のひとつにすぎない。
 「その病気」には「こんな治療」という医療モデル、と書いた。病気を障害に、治療を介護に、医療を福祉に置き換えても同じことだ。要するに、因→果の一方向で完結させようとする横着なモデルではダメだ。認知症の人にはこんな介護を、という言い方は、いかにも横着で空々しい。
 これに対して、「その人」に「私」は「こんな関わり」というのは、双方向の危うい関係を認めた発想だ。因果モデルは物の世界には通用しても、人には向かない。人に対しては、危うい関係性モデル、とでもいうものを覚悟するしかないのではないか。その危うさの中にこそ、人間同士の現実があり、この仕事の醍醐味もある。
<引用おわり>


これを読んだとき、
このことは子育てにも通じるのではと感じたのです。

親、あるいは教育者などが、
「こういう人間」にするためには「こういう教育」と思ってはいまいか。

そうではなく、
「この子」に「私」は「こんな関わり」を考えるべきではないのか。


世の中には「頭の良い子にするには」とか
「男の子の育て方」とか
そんなタイトルの雑誌や書籍があふれています。

でも、書籍や雑誌に書かれている通りにしたら
思うとおりの人間、大人になるわけではありません。

そんなのわかっていると思っていても
自分が親になると翻弄されてしまうのです。


だから、雑誌や書籍、
他人の子育ての仕方を参考にする程度ならいいけれど、
真に受けてはならないということでしょう。

大切なのはしっかりと子どもと向き合うことですね。




私はこのブログにいろいろ書いていますが、
私の子育てがうまくいってもいかなくても、
それは私と息子のケースであって
同じような対応を別の方がやったら
違う結果になることも当然ありうるのです。

だから私のブログはただの娯楽的読み物であって
行動指針にしてはいけないものです。

そんなこともちろんわかっていらっしゃると思いますが。


この本は読み物として非常におもしろいです。

第2章以降は職員の方が書いたものです。

出版されて年数が経っていますし、
小説などではないので絶版になっているかと思いましたが
まだ出版されているようですから、
興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

家族や自身の老後について
どうしたらいいのかのヒントにもなるかもしれません。




今日も読んでくださってありがとうございます。
遠く離れていると向き合うことも難しいのですけれど。




にほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へ  にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ にほんブログ村 本ブログへ

 


AD
 

弱い人間なので



初めての方は、よろしければこちらをご覧ください


スポンサーリンク


こんにちは。

このブログはそれほどアクセス数が多くありませんが、
アクセスが増えていくとそれに比例して
対応に困るようなコメントも増えていくものです。

どなたかが、
そういうことを恐れていては何も書けない
とおっしゃっていましたが、
私は弱い人間なので
そんなことになったらたぶん精神的に持たないと思います。

いろいろ書きたいなと思うことはあれど、
きっと反論やきついコメントが来るだろうな
と思うと書くことができません。

それはそれで私という人間を表していて
いいのかもしれません。

その程度の人間なのです。





辻仁成さんのツイッターアカウントをフォローしています。

とても良いツイートで
いつも心がジンジンしています。


そして今日はそのツイートの一つをご紹介。

いいですよね?辻さん!



ダメだよ、じゃなくて、大丈夫。
無理だろ、じゃなくて、やってみなよ。
あの子は凄い、じゃなくて、お前はすげーぞ。
周りを見てみろ、じゃなくて、周りなんか気にすんな。
アホか、じゃなくて、天才。
死ぬ気でやれ、じゃなくて、自分を大事に。
負けるな、じゃなくて、逃げろ。
死ね、じゃなくて、生きろ!



どうです?
私はそのとおりだなあと思いました。


もうひとつ、カウンセラーの長谷川博一さんのツイートもご紹介しましょう。




「だめ」を見つけては攻撃する人たちがいます。それは多分に、自分自身を受容できていないから。もし親が我が子を受容したければ、親自身が自分を受容することに努めなくてはなりません。個々の受容が進むことによって、世界の寛容さへと広がりをみせます。争いが減る道筋はここにしかないと考えます。
自己受容感は、自信、自己効力感、自己肯定感、自尊心と区別されなくてはなりません。後の4者にはいずれも条件が付くのです。アクセプタンス>コンフィデンス、エフィカシー、アプルーバル、エスティーム。世間が言う「自分を認めよ」は大抵4者のどれかになっています。「だめでもいい」が受容です。






もいっこ、うーむとうなるものがございました。

為末大さんのツイートです。



悩みは、それをできない自分と、そうでなければならないと思っている自分との間にあり、なぜ自分はできないのかを人は悩むが、本当に考えたほうがいいのはなぜ自分はそうでなければならないと思っているのか、だ。



なぜ自分はそうでなければならないと思っているのか。


親の影響、大きそう。




私はいたって平凡な人間です。

謙遜でもなんでもなく。


成績はド田舎の公立中学校で、
上位20~30%くらいに入る程度でしたが、
そんな私を両親は優秀だと思っています。

兄や姉に比べて少し成績が良かったからでしょう。


でももし教育熱心な都会の学校だったら
間違いなく落ちこぼれになっていたでしょう。

成績は常にトップでなければならないとか、
そんな考えの親だったら
私はきっと荒れていただろうと思います。

見かけによらず圧力に反発するところがあるので。


この程度の人間である私のことを
十分優秀な人間として見てくれる両親。

だから自分が生まれ育った環境に感謝です。



今日も読んでくださってありがとうございます。
私は息子を受容します。





にほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へ  にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ にほんブログ村 本ブログへ

 


AD
 

スポンサードリンク1
読んでみたい本メモ

AD
プロフィール
公立高校不合格
底辺私立高校の進学コースへ

偏差値30、40台を長く低迷

希望を持って浪人生活に入るも
成績が振るわないことから
模試を受けない、
予備校へ行かない部屋から出てこない生活

2016年1浪ののち東京の私立大学進学

大学1年の夏休み明けより休学。
1年半休学して復学するも留年。
そして退学するに至りました。

これからどうなるのか。

子どもを信じて見守り隊員
(読者)大募集中(笑)

コメントのお返事、
すぐできないことも多いです。

ランキングに参加しています
にほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へ


にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ





最新コメント
息子もやってます
  • ライブドアブログ